知のソフトウェア

知のソフトウェア    F1222c 【X】

参照:「「知」のソフトウェア」 立花隆

・・・ どうすれば、膨大な情報をうまくインプット・アウトプットできるのか?

※知的情報のインプットの仕方やアウトプットの仕方には、最適な一般論というのは存在しない。
なぜなら、人間が個性的な存在であるからだ。

 

○情報のインプット (p13)  ・・・ 知的情報のインプットは機械的に行うことはできない。

インプットする際は、精神を集中させ、目の前の文章について徹底的に考え抜き、その意味を理解しなければならない。ということは、”インプット能力”は、情報の意味を理解していく能力に左右されることになる。 @
速読についても、必要なのはひとえに精神の集中だ。

・アウトプットの目的が先行していて、その目的を満たすためのインプットであることがはっきりしている場合の<アウトプット先行型>と、
・とりあえずインプットによって何をどうしようなどと全く考えず、楽しみながらインプットしている場合<インプット先行型>がある。インプット先行型は、知的生産型と知的生活型といってもよいだろう。

 

○知識を得るのは書物から

書き込みをするために、本は買う。 (p91)  … 私もそうしている。@
買うときにパラパラ見るのは、索引、巻末の参考文献、あとがきなど。発行年月日、版数、著者略歴も。

*入門書は、なるべく傾向の違うものを何冊か買う。

・読みやすくて、わかりやすいこと。
・その世界の全体像が的確に伝えられていること。
・基礎概念、基礎的な方法論などが整理されて提示されていること。
・中級、上級に進むためには、どう学んだらよいか、何を読めばよいかが示されていること。

*中級書から専門書は、何冊かの中級書を仕込み、高度な専門書は良書の定評があるものを1冊買う。

現段階ではとても読みこなせなくても、それが何の役に立つかというと、
・その世界の奥行きの深さを知ることができる。
・奥行きの深さを尺度として、自分の知識と理解度がどこまで進んでいるかをチェックできる。
・専門書ほど方法論がしっかりしているから、方法論を学ぶことができる。

どんな領域でも、プロとアマの間には軽々には越えられない山があり谷がある。
初級書、中級書を読んだだけで、いっぱしの専門家はだしの顔をしている人がいるが、プロをバカにしてはならない。
そういう人はいずれ大火傷をすることになる。 (p99)

*初めからノートをとらない

本を読む際はノートをとらずに、後で必要になった時に探せるように、
大事と思うところに線をひいたり、ページを折ったりして読む。  …私もそうしている。

 

◎インタビュー取材の心得

取材で最も大切なことは、自分がその相手から聞くべきことを知っておくことだ。 @

当たり前のことだが、これ以上に本質的に大切なことは何もなく、あとは大部分が些末なテクニック論である。
⇒ 「問題を正しく立てられたら、答えを半分見出したも同然」
自分の中に、問うべきものをしっかり持っている人は、きちんとした質問ができる。

聞き取り取材の心得

・知りたいという欲求を激しく持つ。すると様々な問いが出る。
・知りたいことが事実なのか、意見なのか、といったことを分析する。
~それにより、問いの立て方が違ってくる。
・知りたいことが整理できたら、質問を考え、メモにする。

 

*質問のカテゴリーを区別する (p125)

問うべきものを持つということは、
・知りたいという欲求を激しく持つと、欲求が充分にあれば、様々の問いが次から次に出てくる。
・知りたい欲求は、質問の形をとって、整理されなければならない。 @
知りたいことが、どういうカテゴリーに属することなのかを分析、検討しておく必要がある。
それによって、問いの立て方が違ってくるからだ。
・知ろうとしていることが、何らかの事実なのか、それとも意見や判断といったものなのかを区別することが重要である。
・事実として、それは客観的事実なのか、それとも主観的、内的事実なのかを区別する。
心境、心情といったことは後者にあたる。

・整理ができたら、それを知るための質問を考え、“質問要項” をつくり、メモにする
できるだけノート1ページかせいぜい見開き程度の紙に収まるようにする。
節約するために、文章の形にはせず、キーワードを羅列しておく程度が良い。 @

 

*1に準備、2に想像力

いい質問ができるかどうかで、インタビューの成否は半分以上決まる。 @

準備とは、自分が聞こうとすることに関する予備知識を得ること。自分が知りたいことを頭の中で整理してメモを作ること

想像力は、「事実的想像力」と「論理的想像力」に分けられる。
・事実的想像力は、歴史的、経験的事実を問うときには、特に重要だ。
必要な基礎的事実関係は、5W1H(誰が、いつ、どこで、何を、なぜ、いかに)に要約できる。
想像力の豊かな人ほど、通り一遍の答えでは満足できず、より詳細を求めるための質問を積み重ねていく。
・論理的想像力とは、事実をつなぐ論理を発見する能力、
あるいは、人の推論を聞いて、そこに論理的欠陥を発見する能力である。

「頭の中で絵を描く」ことで捉えられるのは、外面的事実関係だけである。
内面的事実、心理的事実もまたそれに劣らず重要である。

 

アウトプットと無意識の効用

頭の中の発酵過程(頭の中で考えがまとまっていく過程)そのものについては、何も方法論がない。
考える素材となるものをあれこれ頭の中に詰め込んだら、あとは頭の中で何か考えが熟して、人に伝えるべき何事かが出てくるのを待つしかない。 @
人間の無意識層には蓄積されたデータが無限にあり、頭脳は無意識のうちに随時引き出す能力を持つ。「閃き」とか「思いつき」とか呼ばれる独特の検索能力により、瞬間的に必要なデータが取り出されるのだ。
「人間の知的能力の大半は、無意識層にブラックボックスとして隠されている」 @(p153)
人間の全体験は、必ずその人の無意識層に刻印を残し、記憶されていく。それは普段は自分の脳の中に記憶として残されているのだということすら意識されない記憶である。

人間がまだそのメカニズムはもちろん、大きささえ充分につかんではいない、この無意識層に広がる巨大な潜在力を、もっとあるがままに尊重するのがよい。 @
私がこれまでたびたび、「本を読む時はノートなどとらずにどんどん読みすすめ」とか、「意識して本を読まなくとも漫然とページをめくるだけでも意味がある」などと言ってきたのは、この故である。 (p154)
無意識に記憶されたものは、読んだり書いたり、聞いたり話したりする時、自然に意識の上によみがえる。無意識の記憶能力のもつ潜在的(ポテンシャル)な力は、普通の人が想像するよりはるかに大きい。 (p155)

人間の知的能力の増進の要諦は、この無意識の能力を涵養(だんだんに養い育てる)することにある。
何やら意識的な小手先のテクニックを覚えこむことにあるのではない。 @(p156)

 

*どうすればいい文章が書けるか

ではいかにすれば、無意識の能力を高めることが出来るのか。

・できるだけ良質のインプットを、できるだけ多量に行うことである。それ以外には何もない。
いい文章が書きたければ、出来るだけいい文章を、出来るだけたくさん読む。それ以外に王道はない。

・“実用的な注意”を言うと、
文章を書きながら、何度も何度もしつこいくらいに自分の頭の中で繰り返して読み直してみることだ。
どうもスッキリしなかったら、スッキリするまで手を入れる。
スッキリしない部分は、必ず長い文章なので、修飾語(句)を削除し、連文、複文なら短文にし、出来るだけ短い文章にする。
それでもうまくいかない時は、文章の構造を変えてみる。
動詞的表現の文章は名詞的表現に、名詞的表現の文章は動詞的表現に変えてみる。
文章を書きかえてもうまくいかなければ、スッキリしない部分を全文削除する。
すると、全体がスッキリしたということはよくあることだ。

 

◇コンテ型と閃き(ひらめき)型

誰でも“自分の方法論”を発見しなければならない。@
あなたはいかなる人とも違う人であり、その限りにおいて、いかなる人の方法論とも違う方法論が、あなたに最適の方法論であるはずだ。

 

*コンテをつくるべきか

一般的には、多少ともまとまりのあるものを書こうと思うなら、まずしっかりしたコンテを作るのが最初の作業手順だ。常識で 考えても、材料を整理してコンテを作り、コンテ通りに書けたらそのほうが良いに決まっているが。 (p164)
(注)人にすすめることではないが、私は長編でもコンテを作ったことがない、と言っている (立花隆)

執筆段階に入ったのだから、材料集めの作業が未だ進んでいないということではないが、コンテを作る段階で、全ての材料が目 の前にあるわけではない。
というのは、知的アウトプットにおいては、目に“見えない材料”が極めて重要な役割を果たすからである。目に見えない材料と は、無意識層に蓄積されている膨大な既存の知識や体験の総体である。

執筆前にコンテを作るという方法の欠陥は、無意識層に蓄積された材料としてどういうものがあるかを、コンテを作る段階にお いては充分にわかっていないから、その有効利用が難しいというところにある。
もちろん、コンテを作る過程において、その相当部分が意識の上にのぼってはくるが、総体の量と比較すれば微々たるものでしか ない。 (p170)

 

*「ユーレカ(わかった)」欲求

取材や調査を進めるにしたがって、隠されていた対象のベールが一枚一枚はがれていき、それまで見えなかった形が少しずつ見 えてくる。
やがて、「ああ、そうか、わかった」と、一人心の中でうなずく瞬間がくる。 @(p171)
「ユーレカ」は快楽である。おそらく人間が味わうことが出来る快楽のうちで、最も上質、かつ最も深い快楽の一つであろう。
「ユーレカ」欲求は、人間の最も本能的、本質的欲求の一つであろう。
ユーレカ欲求に衝き動かされての仕事であれば、認識過程の一つ一つが頭の中に刻み込まれていく。

 

*「閃きメモ」を作る (p174)

まるで何もなしで書き始めるということではなく、普通は簡単なメモを事前に作る。
メモには二つの目的があり、
・「手持ち材料の心覚え」は、事前に作る。
・「閃きの心覚え」は、随時書きとめる。

執筆しながら何か閃いた時には、放っておくとすぐ消えてしまうから、素早くメモする。
時々そのメモに目をやっているうちに、利用の仕方が自然に出てくる。利用しようがないことも。

無意識のプロセスは、自分でもその存在を忘れていた大切な材料を想起する上で重要なのであって、その材料を拾い上げ、材料 の持つ意味を吟味し、評価し、一つの論理展開の中にはめ込むという作業、すなわち“意味づけの作業”は、あくまでも意識的作 業なのである。 (p176)

 

〇「材料メモ」の作り方

コンテなしでものを書く場合、一番頼りにするのは『材料メモ』である。 (p180)
私が用いている原稿用紙は二百字詰(通称ペラ)である。

ペラ一枚に全材料をメモするためには、メモの内容をギリギリまで削らなければならない。
センテンスを書いてはいけない。単語かせいぜい文節どまりで書く。一語一語に、出来るだけ多くの情報を代表させる。そのため には、事前に材料をよく読み、頭の中に入れておくことが必要である。
この材料を頭の中に入れるという前段階の作業が充分になされていれば、メモの一語一語は、記憶の抽出し(ひきだし)の把手( とって)として作用して、一セットの材料を頭の中に呼び起こすことはいともたやすい。
ちょっとでも材料が多い時には、作業を二段階に分けている。
まず最初に、メモの量にこだわらず必要があると思われるものを全部メモってみる。(第一次メモ)
この作成したメモのメモを作成する。まだ量が多すぎるようだったら、さらに読み直してなるべくペラ一枚程度にとどめる。

通常はオリジナル資料を手近に積んでおいて、随時引っ張り出して利用する。
材料メモは、自分が手持ちしている「材料のカタログ」のようなものと考えてよい。 (p182)

 

〇“書き出し”の問題

材料メモが出来たら、とにかく書き出してみる。
書き出しはいくら悩んでもよい。ひどい時には、数日間にわたって書き出しに手間取るということもある。
時間的な余裕があれば、もう一度材料集めをやり直すのがよいが、しばらく離れてみるのもよい。

時間的な余裕がなければ、根本的に発想を変えてみるのが良い。
自分が書こうとぼんやり考えていたことをいったん全部捨てて、自分は本当は何か全く別のことを書くべきではないかと考え直し てみることだ。 @(p183)

 

〇年表とチャート

材料の量が増えてくると、材料メモだけではすまなくなる。材料と材料のメモの間をつなぐものが必要になってくる。

そんな場合には、二つの資料整理法に頼っている。
「年表」と「チャート」である。 (p189)  ・・・ サンプル: (p194,195)

チャートに代わるものとして、「マインドマップ」が利用できるのではないか。 (N)メモ @
代替できるものかの確認と、試行をしてみる。 ~過去のものも参考にして

 

〇校正

校正というのは、一般に考えられているように、原稿とゲラ刷りを照合して、原稿通りかをチェックするだけの仕事ではない。
文章の文法的誤り、シンタックス的誤りから、意味不明の箇所の指摘までしてくれるものである。
黙っていれば誰もそういうことをしてくれないから、誰かにそれを頼むべきである。

⇒ 私は、“あゆみちゃん先生”に頼んで、たいへん助かったことがあった。彼女が忙しくなり、もう頼めなくなり、他に良い人を募集中です。(N)  あゆみちゃん先生 ☞ おかしな授業参観

 

〇文章を削る訓練

削りが目的なのに、書き足しをするとは、目的に逆行することをやっているようだが、そうではない。
削りと書き足しは全く別の目的のためになされる。
削りは量的削減で、書き足しは質的向上が目的である。 (p206)

どこか削れないかとウの目タカの目で探していくと、必ず削れる部分が出てくる。一読して駄目でも、二度、三度と読み直してみ ると、必ず出てくるから不思議なものである。
大きな段落を丸ごとバッサリ削ってしまうこともあるし、各段落から数行ずつ削る場合もある。

編集者の仕事の半分は人の文章を削ることにあると言ってよいくらい、編集と削りの作業は密接な関係にある。

 

〇「充足理由律」 (p210)

説明下手の原因を探っていくと、たいてい説明の順序が悪い。説明の順序を入れかえただけでクリアになる例が多い。

無説明で前提してよいある共通知識を読者との間に持つことで話は出発する。話を進めるということは、その共通知識の上に、新 しい共通知識を積上げるということである。話をすすめるごとに共通知識の山が危なげなく積み上げられていき、最後に結論の認 識を読者と共有できればよいわけである。

山を一段積上げるごとに次の山を積み重ねるべき地盤が充分確保されているかどうかを、自分の足で処々方々を踏みしめて確かめ てみる必要がある。
具体的には、論理学でいう「充足理由律」が満たされているかどうかを確認せよということだ。

それを見るために良い方法は、自分が誰かと論争をしている最中なので、スキあらばこちらの弱いどんな部分にも相手がかみつい てくるものと仮定して、もう一度自分が書いたものを読み直してみることである。

 

※意識の集中と無心 ・・・ N考察 ~直接的関係はないが、備忘メモとして

“情報かどうか”を見極めることが重要だが、今この瞬間に全意識を向けて集中しなければ、情報を上手に受信できない。
そのあとで、情報を消化し、創造的に活用できるかどうかで差がつく。

何かをしようとする緊張が消えた時に、ふとした拍子にいいアイデアが浮かびやすい。
解決しなくてはならない問題を抱えている時は、あれこれと考えようとはせずに、外からの情報をただ無心に受け止めよう。
・・・何もしないことに耐える! @