易経を読む基礎 J0131bx

(参照)「易を読むために」黒岩重人

〇易には二つの顔がある
・思想の書、哲学の書としての「易経」
『易経』は、天地の深遠な道理を説いている書物として、尊ばれてきた。
… 宇宙の真理を説いた、深遠な哲学の書なのだ。
「易経」を思想の書として読む立場を、「義理易」という。
・占いの書としての「易経」…(省略)

〇易ということば
・狭義の易
一例を挙げれば、「繋辞下伝(第11章)」に次のような文章がある。
「易の興るや、其れ殷の末世・周の盛徳に当るか。文王と紂とのことに当るか。是の故に其の辞危うし」と。
・広義の易
易という文字は、単に易の書を指しているだけでなく、もっと広い意味において使われることもある。
次の辞は「繋辞上伝(第7章)」にある辞である。
:「天地、位を設け、而して易、其の中に行わる」と。
ここでの「易」とは、『易経』という書物から離れて、もっと広く「陰陽の変化の道」そのものを指している。
この天と地の間において現れ出た神羅万象は、皆な陰陽の変化によって現れ出たものであり、その陰陽の変化の理法そのものを「易」というのである。
この二通りの使われ方は、時には兼ねて用いられる場合もある。この世界のさまざまな現象や事象は、陰と陽とが変化することによって生じたものであり、その変化の法則を「易」というのだ。
そして、それを写し取って書き著したものが、易の書、つまり『易経』なのである。
「易」という文字は、手相や家相や、方位の吉凶や、運勢の良し悪しを占うことなどの、占いの術を指すのでないことは、いうまでもない。

〇変易・不易 … 変わるということ・変らないということ
易は「変易である」という。この宇宙のすべての現象は、変化しないものはない。それは、一瞬にして変化するものもあり、また、非常に長い時間をかけて変化するものもある。その状況はさまざまであるが、いずれにしろ、同じ状態がいつまでも続く、ということはないのである。
…このように、「変わる」という視点から、一切のものを観ていく。これを「変易」という。
英訳の「易経」を「Book of change」というのも、この意義である。
しかしながら、その一方では「不易」ということを言う。この宇宙の一切は、一定不変であって、すこしもかわることがない、というのである。一年の気象は、春夏秋冬の移り変わりはあっても、その四時(しじ)のめぐりは常に一定であり、不変である。

〇乾と坤の卦のはたらき - 易と簡
:「繋辞上伝(第1章)」に、「乾は易を以て知(つかさ)どり、坤は簡を以て能くす」と、乾と坤の卦のはたらきを述べ ている。
乾の卦、つまり天は、」もともと自分の中に持っている大元気、無尽蔵の大元気を施すのである。持っているものをただそのまま施すのである。そこには何の無理もなく、何の困難もない。それは極めて容易なことである。これが「易」ということである。
さて坤の卦、つまり地は、乾の大元気を、そのまま、何の作為もなくただそのまま受け容れるのである。そのままそっくり、容れるのであるから、そこには何の無理もなく、実に従順であり、何の煩瑣なことはなく、極めて簡略なのである。これが「簡」ということである。こうして坤の地は、受け容れた乾の天の大元気の力によって、万物を養い育てることができるのだ。
このように、天を象(かたど)った乾の卦「易」と坤の卦「簡」の徳を学んで、それを手本として事を行なうならば、天下の理法を得、それを身に付けることができる。つまり天下の理法とは、「易」と「簡」、乾の卦と坤の卦のはたらきに他ならないからである。

易を読もうとする前に、知っておかなければならないことがある。
①『易経』には「哲学の書」と「占いの書」という、二つの顔があるということ。
②それは、「象数易」と「義理易」という、易学の二大潮流となっていること。
③易という文字が意味するものには、「狭義」と「広義」の区別があること。
④「変易」と「不易」とは、矛盾するものではない、ということ。
⑤易の最も基本である天のはたらきと知のはたらきは、「易」と「簡」という辞で述べられている、ということ。
…これらのことは、易を読もうとする時において、まず心得ておかなくてはならないことである。

◎陰と陽とは一体のもの =「易は一元論」である
陰と陽は、太極の活動の二つの側面なのである。太極の活動そのものが、陰と陽というかたちで現れるのである。
どちらが先で、どちらが後、ということではない。それは同時に現れる。
今、目の前にあって見えていうものが「陽」であれば、たとえ見えなくても、その裏面には必ず「陰」が現れているのである。つまり、陰と陽は一つのものの表裏であって、決して別々の二つのものではない。
「太極」とは、宇宙の本体である。天地が開かれるその前から、ずっと存在している宇宙の実態である。
この宇宙の根本の本体には、もともと名などないのである。しかし、それでは説明できないので、仮にそれの名を付けて、「太極」という。
~陰と陽は、二つのものではなく、また「太極」と「陰・陽」も二つの別物ではない。陰と陽は、二つのように見えても、実は、太極の活動の二つの側面であり、コインの裏表のようなものである。そして、陰陽そのものが、そのまま太極なのだ。
易は、太極を本体とした一元論として理解することが、とりわけ重要なのである。

■易の書 『易経』の構成
易の書 『易経』は、本文である「経(けい)」とその解説である「伝(でん)」によって構成されている。
〇「経」 … 本文の構成
・「卦形」は、三画から成る上の卦と、下の三画の」卦との組み合わせである。
…「震下坎上」などとあるのがこれである。⚊ と ⚋ の、六画から成る組み合わせには六十四の形があるのでこれを六十四卦という。
・「卦名」は、この六画から成る卦の名である。卦に繋(か)けられた辞の最初の文字が、卦の名にあたる。
・「彖(たん)」は、一卦の全体に繋けられた辞である。卦辞ともいう。易には卦辞(かじ)は六十四種あることになる。
・「象(しょう)」は、卦の一画ごとに繋けられた辞である。爻辞ともいう。
卦の一画の ⚊ と ⚋ を、爻(こう)という。一卦には六つの爻があるから、三百八十四爻になる。
したがって、爻辞も、同じ数だけあることになる。
〇「伝」 十篇の解説書 …本文の解説書である「伝(でん)」は、全部で十篇あるので、「十翼」ともいう。
・「彖伝」…彖の伝、つまり卦辞を解説した文である。上篇と下篇の二篇に分かれている。
・「象伝」…象の伝であり、大象と小象とから成っている。上篇と下篇の二篇に分かれている。
*大象とは、卦の構成を説き、それを手本として、一つの教訓を述べているものである。各卦ごとにある。*小象とは、爻辞を解説した文である。各爻ごとにある。
・「繋辞伝」…易の理論を説いたもの。上篇と下篇の二篇に分かれている。
・「文言伝」…乾卦と坤卦の二卦について、解釈したもの。
・「説卦伝」…八卦の卦象を解説したもの。
・「序卦伝」…『易経』の六十四卦の配列の順序を説いたもの。
・「雑卦伝」…六十四卦の意義をきわめて簡潔に、多くは漢字一文字で説いたもの。

■四つの易の用い方 「繋辞上伝第十章」より
易有聖人之道四焉 易に聖人の道四つ有り。…聖人が易を用いる四つの方法がある。
以言者尚其辞、  以て言うものはその辞を尚(たっと)び、…自分の考え・意見を発言する場合には、易の「辞」を、
以動者尚其変、 以て動く者は其の変を尚び、…自分が行動しようとする時には、易の「変」を、
以制器者尚其象、 以て器を制する者は其の象を尚び、…物を創造しようとする場合には、易の「象」を、
以卜筮者尚其占。 以て卜筮する者は其の占を尚ぶ。…決し難いことを決断しようとする時には、易の「占」を、それぞれ用いて応用することをいうのである。

易の書の中には、聖人が易を用いる四つの方法が示されている。
・易を用いて、何かあることについて発言しようとする者は、易の卦の辞・爻の辞を尊び、それを手本としてものを言うのである。自分がものを言う場合には、易の卦の辞や爻の辞を、その根拠にして言うのである。
・易の道を用いて、行動して事を行なおうとする者は、易の六十四卦・三百八十四爻の変化の状態を尊び、その変化する状態を手本として動くのである。
・易を用いて、物を制作する者は、易の卦の象を尊び、それに象(かたど)って製作するのである。物を作り出そうとする時には、易の卦の象っているものを観察して、それをヒントにして、物を創造するのである。
・易の道を用いて占いをする者は、易の書物に書かれている占辞を尊び、それによって未来の吉凶禍福を占うのである。

□君子の易の用い方 ― 平時の時・行動の時 … その時の状況によって、二通りの用い方がある
君子が易を用いる場合には、その時の状況によって、用いる仕方が違うことを、「繋辞上伝第二章」では次のように記している。
居則観其象而玩其辞。 居れば則ち其の象を観て其の辞を玩(もてあそ)び、
動則観其變而玩其占。 動けば則ち其の変を観て其の占を玩ぶ。
是以自天祐之。吉无不利。 是を以て、天より之を祐(たす)く、吉にして利しからざる无し。

君子は、何事もなく静かにしている時には、易の卦爻に表されている象を観て、そこに繋(か)けられている辞を深く味わうのである。易の書には、人間社会のあらゆる情態が、六十四卦・三百八十四爻に象られて、写し取られている。その象を観察し、そこに繋けられている辞を深く味わうことによって、世の中のあらゆる情態を知ることができ る。
動いて事を行なおうとする時には、易の卦爻のさまざまに変化していく状態を観て、そこに繋けられてある吉凶禍福の占辞を熟読し深く味わうのである。六十四卦を充分に変化させてみれば、そこにはあらゆる変化の様式が備わっ ている。これから事を行なおうとする時、その事が、これからどのように変化し展開していくかを観察することによ って、その結果の吉凶を、あらかじめ知ることができる。
このようにして、易を学ぶ君子は、常に易の卦象を観て、易の卦爻の辞を深く味わっているので、その行いは天の道に適い、天より祐(たす)けを受け、吉であることを得るのである。

※現代の易学 [易学小史粗描抄]
〇ニューサイエンスと易
従来の古典力学的世界観では、一切の物は、それを構成する部分部分に分けることができ、「その部分的要素を解析することによって、全体を理解することが可能になる」 と考えられてきた。このような万物をその部分的要素に還元する思考、「要素還元主義」は、機械論的自然観ともいえる。だが、いくら部分的要素を集めてみても、その総和によって全体を知ることはできない。個々の部品の機能が分かっても、それによって全体の機能も理解できるわけではないのだ。
こうした従来の自然を細分化して理解していこうとする世界観に対して、ニューサイエンスでは、自然というものは、相互に関連しあっている有機的な存在である、と考えるようになった。こうした世界観は、東洋においては目新しいことではなく、古来からある「ものの見方」である。それは、直観的に全体を理解しようとする。
易は、太極を本体とする一元論である。その太極の活動は、六十四の面をもっており、その一つ一つは卦と呼ばれる。この一つ一つの卦は、太極の六十四分の一ではなく、それ自体で全体なのだ。一つ一つの卦は、それ自体の中に六十四卦を含んでいるからである。
このような易の構造は、ニューサイエンスの考えに極めて類似しており、彼らの新しい視点を示唆するものとして、注目されるようになった。
〇ユング心理学と易
心理学者のユングは晩年に「共時性(シンクロニシティ)」という理論を唱えている。共時性とは、「意味のある偶然の一致」と定義される原理のことである。
1950年に刊行された『易経』の英語版に序文を寄せて、「易の前提には共時性という奇妙な原理が含まれている」と、述べている。・・・
ユングは、占ってその答えとして得た卦は、易に問うた人の心理状態の、無意識からの投影である、と考えた。そうであるならば、この占いが当たるということは、筮して得た卦と現実の状況との間に、意味のある一致がある、ということである。占者の内的世界と、現実の外的世界とは、無意識を媒介として、ある同調関係にあるといえる。こうして、易の卦をたてることによって、自分の内的世界と外の世界との関わり合いをみることができる。
今日における易学は、「漢学者の易」の枠を越えて、はるかに広がりつつある。易は、過去の遺産としての「古典」ではない。「古代中国の思想」などでは決してない。易はいつの時代にあっても、その時代、その時代において、生きて活動している学問であった。今日においても、そのことには変わりはない。易学が「現代の易」としての活学となるための、学としての新たな枠組みが要(もと)められているのである。