「どうせ○○だから」

「どうせ○○だから」    G0613a 【Y】

江戸時代の中頃、瀧瓢水(たきの ひょうすい)(1684 ~ 1762)という俳人がいました。

兵庫県加古川市の大きな廻船問屋「叶屋」の跡取り息子として生まれるのですが、家業を ふけ ほったらかして、遊蕩三昧に耽り、一代で家産をつぶしてしまうという型破りな人生を送った俳人です。

そんな瓢水に、次のような逸話が残されています。
ある時、すでに俳諧では名声を馳せていた瓢水のもとに、一人の禅僧が教えを請いに尋ねてきたのです。ところが、瓢水はあいにくの留守で、玄関先に「風邪を引いたので町まで薬を買いに行って います」と書いた置手紙があったのです。これを見た禅僧は、「風邪を引いたぐらいで薬を求めに行くなどとは……。悟りを開いたといわれる瓢水だが、この程度の人間か。死を怖がっているような人間では、教えを請うほどのこともないわ」 と言い放って、そのまま帰ってしまうのです。
しばらくして、薬屋から帰ってきた瓢水は、その話を聞くと、短冊に一首の俳句をしたため、「まだ近くにおられるだろうから、これを渡してくれ」と、使いの者を差し向けるのです。
ほどなく禅僧を見つけ短冊を手渡すと、その句を読んだ禅僧が、あわてて瓢水のもとに引き返し、深々と頭を下げ、自らの未熟さを恥じ、教えを請うたそうです。

そこに書かれていた俳句とは、
「浜までは 海女も蓑着る 時雨かな」

この句は、海女はやがて海に潜り身体は水に濡れてしまう。しかしそうであっても、せめて浜までは時雨で身体を冷やさぬように蓑を着て我が身体を思いやるという海女たちの姿を詠ったものです。
つまり瓢水は「、風邪気味で薬を求めるこの私を意気地のない男だとなじるのは結構ですが、どうせ死ぬ命だからといって、この命を粗末にして良いはずはありません。せめて、命が終わるその時まで、生かされている我が身を大切にしていくことが人の生きる道ではないでしょうか」と、言っているのです。これにはさすがの禅僧も恐れ入ったというわけです。

「どうせ死ぬ命だから・・・」ではなく、「せめて命あるかぎり・・・」と受け取っていくことが大事なのです。もっと言えば、必ず終わる命だからこそ、今生のご縁が尽きるその時まで、この身をいたわらねばならないのです。
そこに、「いま・ここ」を精一杯生きるという人生が開かれてくるのです。

そこであらためて、私たちの日暮しを振り返って見ますと、どうでしょうか? 何かにつけて、「どうせ○○だから・・・」と、言ってはいないでしょうか。
たとえば 「どうせ何も変わらないのだから・・」、「どうせろくでもない人生だから・・」、「どうせ年寄りだから・・・」、「どうせ女だから・・・」、「どうせ二流の会社だから・・・」 等々…。
こうしてみますと、この「どうせ○○だから・・・」という生き方は、いたって無責任で投げやりな生き方だと言えます。自分に不都合なことが起きると、すぐにあれやこれやと理屈をつけて言い訳をし、そうして自らの努力を放棄するという生き方です。
ここからは、決して前向きな生き方は生まれてきません。今、社会問題になっている無差別殺人事件なども、こうした考え方から起きた事件だと言っても過言ではありません。事件を起こした人間は一様に「重大事件を起こせば、皆から注目され、関心を持ってもらえる。だからやった」と言いますが、そこには「どうせ自分のことなんか誰も分かってくれな いのだから・・・」という思いがあるのです。
まさに、「どうせ○○だから・・・」という生き方がこのような重大事件を起こしたと言えるのです。
確かに、人生は厳しく、私たちは余りにも弱いことを考えれば、その心情も分からぬではありませんが、やはり「甘い」と言わざるを得ません。

私たちの人生は、「身自当之 無有代者(身みずからこれにあたる、代わる者あることなし)」とお経に示されているように、仏教では、いかなることが我が身に起きようとも、それは誰 かが与えたものではなく、自分が知らず知らずのうちに作っていた「因」や「縁」(条件)が熟して、こうした「果」になって現われたんだと、教えられます。
たとえ親子、夫婦、兄弟であろうとも代わってもらうことも、代わってあげることも出来ません。自分の荷は自分で背負う以外、自分の生きる場所はないのです。決して人を恨み、世を恨むのではなく、自らの人生を自らの責任において果たしていく、こ れが、因果の道理を基盤とした仏教の人生観です。
昨今、自死(自殺)を含め、あまりにも命を軽視した事件が相次いでいます。そうした事件を起こす大きな要因の一つが、この「どうせ○○だから・・・」という生き方にあることを思えば、今一番求められているのは、この仏教的人生観ではないかと思います。

平成20年11月 「光明寺だより59号」より