「ジェネレーションフリーの社会」

ジェネレーションフリーの社会    F1019e 【V】

「ジェネレーションフリーの社会(日本人は何歳まで働くべきか)」 北岡孝義 より

 

まえがき

・「世代間扶養」に立脚する現行の公的年金制度(賦課方式の年金制度)は、どだい持続不可能なのだ
公的年金制度は、働くことに関して、前時代的な意識を前提に作られた制度といえる。公的年金は、長年の苦痛からの解放、人生終盤の「ご褒美」といったところであろうか。
戦後間もない頃と、高度成長期を比較すると・・・、 (p4)
戦後間もない頃の年金給付期間はたかだか5年だったし、高度成長期でもせいぜい10年だったが、現在では実に15~20年になっている。
また、70歳以上の高齢者の医療費自己負担も、1割から2割に増えている。
職場での人間関係はギスギスし、働くことの連帯感も希薄で、時として精神的孤立に追い込まれる。労働者の自殺率は高水準にあり、労働者の精神的ストレスは高まるばかりだ。
グローバル化への対応を大義名分にして、政府や企業が推し進めている労働市場の規制緩和や職場改革は、本当に日本経済の競争力を高める方策なのだろうか?
財・サービスとは異なり、労働は人が直接関わっている。「働く環境を、働く者にとって最善のものにする」ことこそが、グローバル化への対応ではないのか。

 

「ジェネレーションフリー」の社会 とは (p6)
「年齢のバリアー」を取り払った社会のことで、原則、老いも若きも国民全員が働くため、世代(ジェネレーション)構成の変化による大きな影響を受けない(フリー)社会のことだ。
現役世代が高齢者の退職世代を支える世代間扶養の社会ではなく、国民全員が全員を支える相互扶養の共生社会だ。

 

①公的年金は大丈夫なのか ・・・ 公的年金制度について
・年金原資をリスク資産に投資して大丈夫なのか
所詮、株は株でしかない、リスクがある。上がり続ける保証がない。
・先進国で「国民皆年金」なのは、実は日本だけ (p40)
・年金積立金は、国会のチェックが入りにくい「第2の国家予算」 (p42)
他にも色々な特別会計があり、判りにくいもの
戦後経済の立て直し、経済発展のために、郵便貯金とともに産業資金としての役割を担ってきた
・政府は高齢者の「働く環境」を整備せよ (p67)
政府のやるべき仕事は、高齢者が元気な間は働き続けることが出来るような、労働・雇用環境を整備することだ

※ 現状の、個人の違いを考慮することなく、年齢が来れば一律に働きの現場から退去させられるのは、ある意味では“年齢による差別”だ。

*平均寿命と公的年金支給年齢、定年の差があまりにも大きすぎる (p68)
健康を維持し、心身ともに充実した状態でありながら、リタイアに追い込み、まだまだやる気もあり、働ける有能な高齢者を、僅かな年金給付で困窮に追い込み、その生活保護を増大させている。
・・・ 現在の日本政府がやっていることだ
⇒ 働き手が足りないなら、なぜ高齢者を生かさないのか。そもそも、65歳を超えただけでためらいもなく「高齢者」とくくることに、大きな違和感を覚える。 ?

・高齢者に働いてもらうためには、現在の労働環境を抜本的に改革しなければならない。 ?
高齢者の多くは、40代、50代の働き盛りの人と同じ仕事をすることは出来ないし、またする必要もない。フルタイムでなく、隔日、あるいは午前か午後だけなどといった身体に負担をかけない勤務体制でいい。まだまだ有用な人材として活躍してもらうためには、次第に労働の負荷を軽くしながら、75歳を目途に、本当のリタイアまでソフトランディングしてもらうのだ。

②スウェーデンに学ぶ (年金支給年齢75歳)
・「スウェーデン・バリュー」と「移民政策」のジレンマ (p83)
スウェーデンの国家理念は、男女平等(ジェンダー平等)・人権尊重・個性尊重で、「スウェーデン・バリュー」と呼ばれている。どのようなバックグラウンドを持とうとも、スウェーデンの移住者は等しく福祉・社会保障が提供され、差別されてはならないのである。だが経済的にも、スウェーデン・バリューを全面的に移民に適用するのは困難だ。
・世界から絶賛されたスウェーデンの年金改革は・・・、力尽きて敗北宣言
新しい年金制度は、現役世代が高齢者世代を扶養する「賦課方式」を維持しており、現役世代が積み立てた年金保険料総額プラス運用収益をベースに、年金給付を行なう“みなし掛金制度”を採用している。世界に先駆けて「マクロ経済スライド」を採用したのもスウェーデンだが、昨今の経済状況のもとで、再び行き詰っている。 ⇒ 2006年の日本の公的年金制度改革も、スウェーデンの考案した「マクロ経済スライド」の精度を採用した。

③人生二毛作を支えるインフラ創り (p102)
・ラインフェルト首相(スウェーデン)の発言~提案
21世紀に入り、先進国の経済社会は脱工業化の社会となった。働くことを生活のためだけだと限定する国民の意識や、そうした意識を前提とした社会の制度・仕組み、企業組織を根本的に見直す時期に来ている。
平均寿命が大きく変わっても、福祉国家として維持するためには、国民の働き方を変えなければならず、75歳まで働ける社会を構築しなければならない。
・「人生二毛作」という考え方
ラインフェルトは、既存の枠組みを変革しようと訴えており、その1つが「人生を2つの期の分けて、職業を変えよう」という、人生二毛作という考え方だ。20~40歳代後半を第1期、50~75歳を第2期とするワークライフが一般的となるような社会を提案している。
また、40歳代後半~50歳代前半になれば、1~2年程度、再度学校に戻り2度目の職業に備えた学習をするという働き方を通じて、働くことの意義を確認することになる。
⇒(N) これはサバティカルと同じような考え方であろう ⇒ 「サバティカル」参照

こうした働き方を通じて、国民が自己実現を図り、国民同士の連帯の場、結びつきの場をコミュニティだけではなく、働く現場である企業にも求めようというわけである。 ⇒(N) これは、もうなくなってしまった「昔の日本の会社」そのものではないのか。

「人生二毛作」
共生社会、連帯社会、スウェーデンの国家理念である「国民の家」にふさわしい「働き」の場を創るべく、もう一度“社会を創りなおそう”。それが、「働く人たちの政党」を標榜するラインフェルトの提案なのだ。
⇒(N) でもこれは、「私が提唱している人生二毛作」とは違うものなので! 注意して読んで下さい

・共生社会は創れるか
「つらい、大変だ」と思いながら、与えられた仕事に追われるだけでは生きていけない。
今や、それぞれが創造性を発揮し、知識や技能の習得に努めることで、様々なビジネスの可能性が広がり、また、ビジネスとは別のコミュニティの形成が促進される。
「働きの場」での競争は焦りを生む。創造性の発揮にはゆとりが必要だ。それこそが「共生社会」の発展の源である。競争をベースとしたアメリカ型成果主義とは無縁の「働きの場」の構築が、生きがいや自己実現に結びつく働きの社会の実現を可能にする。
日本は、アメリカ型の「競争社会」を求めたことによる企業の疲弊ぶりや、多くの国民が抱いている将来への不安感に目を向けるべきではないだろうか。

④「働くこと」の意義を考える ・・・ 経済学から見た労働観
・労働観 (p111)
「働く人たちは、帰属意識(アイデンティティ)をもって働くことが出来れば、たとえ賃金報酬が十分でなくとも、一生懸命働く。帰属意識を持てば、連帯感も高まる。働く者同士が連帯感をもって働くことが出来れば、働くこと自体が満足感を高める。 ⇒ ジョージ・アカロフ(ノーベル経済学賞)
帰属意識を持ち連帯感を高めて働けば、働くことは苦痛ではなく喜びになるという。
今ではほとんどなくなったが、当時の日本の企業は、大企業から中小・零細企業まで、会社の運動会や慰安旅行を盛んに行い、社員への帰属意識を持たせ、そのことによって社員同士の連帯感を高める努力をしていた。

・成果主義で、本当に社員のやる気を引き起こすことが出来るのか (p113)
労働=苦痛という考え方が根底にあるマルクス経済学だが、働くことによって喜びが得られるかどうかは、資本主義や共産主義という体制の違いではなく、働く人が「社会的存在」であると実感することで、例えば会社の成功の成果は、ボーナスなどの形で社員に平等に分配するということだ。
マルクスは、「働くことが喜びとなるのは、働くことによってひとは「社会的存在」だと実感し、他の人と連帯感を持つから」なのだと言っている。

・働くことに必要なのは、“自由意志”と“誇り”
⇒(N) どこかに書いてあったと思うが、「経営者はどんなにつらくても、ストレスは少ない」と。

・「終身雇用・年功賃金」制 (p126)
アングロサクソン流の成果主義へのアンチテーゼとして生まれた「日本型社会主義」の制度なのだが、日本は戦争には敗れはしたが、経済的にはアメリカ社会をまねなかった。
しかしながら、グローバリズムの浸透とともに、日本の労働環境は徐々に変わり始め、「終身雇用・年功賃金」の日本型雇用慣行が崩れ始めたのだ。

・労働力は企業にとっての「資産(ストック)」 (p126)
武田信玄は、軍学の書「甲陽軍鑑」の中で、「人は石垣、人は城」と謳ったと言われる。
まさしく労働者は企業の宝、財産なのである。使い捨てのフローの生産要素ではなく、ストックなのだ。
少なくとも高度成長期は、多くの企業にとって労働者は財産だった。企業は社員に対して投資をし、生産性の高い人的資本を形成する。年功賃金も、労働者をストックとして、企業の人的財産と見ることから生まれる制度だった。
その人的資本が有機的に結びつくと、連帯感が生まれ、組織としての使命感が出てきて、全体として活力ある企業となるものだ。
ところが現在では、人に投資するという悠長なことはしなくなり、従業員を「コスト」としか見ない会社では、長い目で見ればそのような環境に置かれた労働者たちは劣化していき、結局は会社の利益や信用を損なう結果につながることになる。

定年制は人権問題か (p135)
心身に限界が来て、本人の納得のもとに退職するのならともかく、まだまだ働けるのに強制的に退職させられるのはどうか。これは明らかな年齢による差別である、ある意味、人権問題なのではないか。

・退職後に待っているのは 「ヒマ、生活不安、社会からの疎外」 (p137) ?
とくに男性の場合、退職後に色々な趣味に手を出したところで、長続きはしない。仕事人間だった彼らは1~2年もすれば飽きてしまう。著者の知り合いの多くも、ご多分に漏れないそうだ。
趣味はあくまで本職があってこその息抜きであり、世間から評価される玄人はだしの技術でもない限り、人生を満足させるには至らないということなのだろう。
趣味に飽きたあとに襲ってくるのは、「ヒマ」だ。毎日が日曜日となった退職後には、無限の暇な時間が広がっている。60~65歳で退職したとして、平均寿命の80歳までの15~20年間、暇でやることのない毎日が続く。仕事に人生の多くを費やしてきた人たちにとって、これは地獄であろう。高齢者の精神疾患が増えるのも無理はない。とくに、定年後の「うつ病」(「定年うつ病」と呼ばれる心の病)にかかる高齢者が多いと言われている。
また、せっかく働くなら、現役時代のキャリアが生かせる働きであってこそ、やりがいも出てくるというものではないか。もちろん、有益な技能や知識を持った人材が埋もれてしまうことは、社会にとっても大きな損失だ。これをどうにかするのが、今後、国と企業が真剣に取り組むべき問題だといえる。
そして、退職による最大の問題は、社会から疎外されることだ。
女性の場合はまだいい。女性はもともとネットワークを築き維持するのが上手な人が多い。たいていは定年退職以前から、会社以外の人間関係のつながりをいくつか持っている。
男性の場合は、現役時代から仕事を通じてのみ社会に関わっているケースが多い。そのため、退職すると同時に社会とのつながりが切れてしまう。

・定年という障害をなくせ ・・・ 収入とキャリアの維持を (p139)
「働く」こと、それこそが高齢者問題の解決の重要なキーワードなのである。
何より、若い時からの仕事の経験を生かすことが肝要だ。そのためには、自らのキャリアに継続性を持たせることが必要である。
企業は、豊富なキャリアを持った、ある意味では宝の人材を、高齢というだけで退職させずに、どのようにしたら高齢者に高い生産性を発揮して働いてもらえるかを考え、その環境を整えるべきだ。
政府も、少子化の時代、女性労働だけに注目するのは間違っている。重要な人材資源である高齢者にも、大いに注目し、社会に役立ってもらうべきなのである。女性だけではなく、高齢者も輝く社会を創ってもらいたい。

・「職業学」と、その必要性 (152)
職業学とは、個々人がどのようなキャリア・パスを選択できるのか、そしてそれぞれのキャリア・パスにどのような問題が存在するのかを研究する学際的な学問として定着している。
世間にはどのような職業があってそれぞれの職業がどのように社会に貢献しているかを、子供たちに教える教科はない。
ひと昔前まで、世の親は子供がよい大学に入り、よい会社に就職させることを考えていた。日本の社会では、職業の選択が人生にとってさほど重要ではなかったのだ。職業なんてなんでもよかったのだ。
しかし時代は変わり、どの会社に就職するかよりも、どの職業に就くかが人々の関心事になり始めている。人々は自分に合った職業は何か、自分の一生を託せる職業は何かを真剣に考えるようになった。

「実践知」無形の社会資本 (p169)  ⇔ 「暗黙知(経験知)」参照
高齢者の経験から、次世代に伝達すべき技術と知識を「実践知」にまとめ上げる教育機関と、その「実践知」を現役世代の若年層に伝達する場の確保が、高齢者の持つ無形の社会資本の劣化を防ぐ意味で重要なことだ。まさしく、人は技術と知識を体系化した資本なのだ。
また、最近の企業理論の研究成果によって、企業に蓄積された技術や知識といった無形資本がいかに大きな企業価値を生むかが明らかにされている。

・独自の高齢者雇用のビジネスモデル
高齢者と若・壮年層とは異なる能力を持った労働者だということを十分に認識すれば、高齢者の就業内容、就業時間は高齢者と若・壮年層と異なって当然だ。平均年齢74歳というV社の例では、もちろん、仕事はパートタイムで働く従業員が多く、賃金は高くはないが、何の不満もない。
高齢の従業員のインタビューからは、一様に働くことの喜びを感じており、人とのふれあいが高齢者の生きることの支えとなっているようだ。
肝心なことは、個々の企業において、独自の高齢者雇用ビジネスモデルを構築することが望まれる。

・高齢の社員に求められる責任力と教育力 (p177)
責任力には胆力がいる。その胆力は長い経験から培われるものだ。
もうひとつは、会社に培われた技術や知識の伝達だけでなく、会社に求められる倫理的側面、正直であること、誠実であることなどの価値の重要性を若年、壮年の社員に教育していくことだ。
また、変革の時代だから若い社員のみで良いとする会社は得てして暴走しかねない。

⑥高齢者も国の成長を支える社会
・定年制を考える (p184)
定年とは、ある意味残酷だ。人は千差万別なのに、65歳になれば一律に職場から強制退去させられる。定年は、「社会にとってあなたは用済みだ」と通告を突きつけられたのに等しい。そう感じる人も多いだろう。
再就職の場合も、企業の採用規定でも機械的に年齢で区切っているので、その他の条件がマッチしていても検討さえしてもらえないのだ。

定年制度は、差別的で人権軽視の制度である。年齢が壁となって、人が正当に評価されない。定年退職すると、年齢で能力が判断されてしまい、再就職が極端に難しくなる。
健康でまだまだ働くことができる人材を、年齢だけを理由に~能力的、身体的には何の問題もないにもかかわらず~働きの現場から強制退去させることは、社会にとっても大きな損失であろう。そして、キャリアを積んできた人にとっても、そのキャリアが無視されるばかりか、生活の基盤や生きがい、やりがいを失うことになる。
・・・ 現在の社会の在り方、医学的な健康寿命の延長を見ても、年齢を理由にした職場退去には、納得できる根拠はないのである。

・株主至上主義は本当に企業の成長につながるのか
企業の「困ったときの人件費削減」の姿勢は、「人が働く」ということがどんなことなのかを考えていない。たしかに、人件費削減は、一時的に利益を上げるが、長期的に見れば企業の損失になる。社員の意欲を喪失させることにより労働生産性を低下させる。

⑦社会に居場所があるなら、公的年金はいらない ・・・ 年金のいらない社会の構築 (p220)
人は働くことによって心身ともに健康になる。また、健康であれば、ますます働く意欲が出てくる。
働くことによって得られる、生活のリズム、適度な運動、緊張感と責任感、使命感と達成感が得られ、人を心身ともに健康にさせるのだ。こうした老後の働きと健康の好循環を維持できれば、年金など当てにしなくても何とか老後の生活はやっていける。
⇒ と言っているが? (N)

・働く人主体の柔軟な就業システムを創る (p231)
「今までのような働きは限界だ」と感じる人には、働くことをやめさせるのではなく、働き方の形を変えてもらうことだ。例えば、70歳まで現役で働いていた人が、肉体的にも精神的にも限界だということで従来のように働けなくなったとすると、そのような高齢者には、第一線を退いて若手育成の仕事をやってもらう。エンジニアであれば、地域の学校の理科の教員として非常勤で働いてもらうのも一つだ。
⇒ と言っているが、誰でもが簡単にできるものではないぞ? (N)
もちろん、ボランティアではない。報酬を払ってビジネスとして仕事をやってもらう。
必要なことは、引き続き企業や社会での居場所を与えることだ。
働く曜日や時間は働く人が決める。企業や地域の自治体は、働く人主体の柔軟な就業システムを創る。そうしたアイデアを発案することだ。

・働くことが楽しいとさえ感じる社会 (p234)
ジェネレーションフリーの社会では、原則、国民全員が働く社会なので、働くことが苦痛である社会であってはだめだ。それどころか、働くことが楽しいとさえ感じる社会でなければばらないのだ。

・生涯現役 (p244)
すべての国民が「生涯現役」で働くことができり社会こそが、我々が目指すジェネレーションフリーの社会だ。「生涯現役」の社会とは、多くの国民が「人は働くために生まれてきたのだ」ということを実感できる社会でもあるのだ。 ?(N)

・「働きの場」の改革こそが、日本を救う真の成長戦略
働きの場の改革は、すぐに実現できないことはわかっている。それは、社会所在り方を根本的に変えることでもあるからだ。
そのためには、国民一人ひとりの働きに対する意識を変えていかなければならない。
企業もそうだ、企業のガバナンスを再構築することだ。
政府もそうだ。国民が「生涯現役」で働けるような環境整備を行わなければならない。そのためには、年金や定年制、教育制度、非正規雇用、労働時間等々に関する法・制度の改革が急務だ。

国民、企業、政府の働くことへの意識改革こそが、全員参加型のジェネレーションフリーの社会を創る上で最も重要なことなのだ。