103歳になってわかったこと

「103歳になってわかったこと(人生は一人でも面白い)」 篠田桃紅(美術家1912年生) より

自由 = 自らに由る(依って生きる)
人生を自分のものにする。意に染まないこと、無理はしない

・自分という存在 = 天地にただ一人 ・・・孤独を客観視する

・歳をとること = クリエイトする~創造して生きるということ。毎日を創造的に生きていく。 ・・・楽しいことだ
☞ 高村光太郎の詩「道程」 : 僕の前に道はない、僕の後ろに道は出来る

・日々違う、生きていることに同じことの繰り返しはない ・・・老いてなお、手探りで進む

・歳をとって得ること : 少し遠見がきいて客観視するようになる~客観視して自分と向き合う
過去も未来も、俯瞰するようになる ・・・まあいいでしょうと、あきらめることを知る

・自然体 : 誰か式、誰か風ではなく、その人にしかできない生き方、洞察しているもう一人の自分

「いい加減」は素晴しい&長生きが望める ・・・「万事ほどほどにしておけば高い徳に至る(孔子)」と

・自分の人生を枠におさめない ・・・歳相応とは? 精神的にもいい影響を及ぼすか
⇒ 自分の年齢を考えて、行動を決めたりしない

・自然の一部(生きもの)として生まれただけ ・・・気負わず、少しずつ自信をつけて、気楽に生きていこう

・老いたら老いたで、まだ何ができるかを考える ⇒ 何でも言っておく、伝えておく! (p56-)

・感動する気持ちがあれば、この世は楽しい ~ 面白がる気持ちがなくなると、この世はつまらなくなる

・なにか夢中になるものが見つかれば、人は生きていて救われる ・・・頭で納得できないことのほうが多い
人はみな、なにかにすがっていたい、どこかによりかかるものがほしい (p69-70)

・やっておきたいと思うことは、どんどんやる! ・・・死ぬ時に思い残すことが少ないように
人生を楽しむためには、人間的な力量が要る。 ~人生の楽しみは無尽蔵(与謝野晶子) (p73)

・予定や目標にとらわれると、ほかが見えなくなる。 ~時にはその日の風まかせにする
あまりがんじがらめになると、何かを見過ごしたり、見失っていても、そのことに気がつきません

・「真実」は見えたり聞こえたりするものではなく、感じる心にある ・・・”察する“ことで、真実に近づける
真実は、想像のなかにあり、究極は伝えられない ~「真実は皮膜の間」にあり(近松門左衛門)

・とても大事な“無駄”にこそ、次の何かが兆している ・・・用を足している時は、兆しには気がつかない
何が無駄(時間やもの~)かは分けられない。無駄は良くなる必然と思って後悔しない (p87)

幸福になれるかは、この程度で“ちょうどいい”と思えるかどうかにある ~ 自分の心が決める
いいことずくめの人はいない、一生もない ・・・満足することができる人が、幸せになれる

・自分の心が自分の道をつくる ・・・自分の心が求めていること

・自分が一切 : 今まで触れた全てで、自分ができている (p100)
養分をいかに吸収して支えるのは、自分という根っこ ・・・その人次第

・真正面だけでなく斜めからも見てみる。新たな魅力があるかも知れない ・・・色々な見方があっていい

「虫が知らせる、虫が好かない」を大切にする! ・・・動物的な勘
知識に加えて、感覚も磨けば磨くほどものごとの真価に近づく。感覚は自分で磨かないと得られない
⇒ 危険やトラブルを察知、上手に避けることができる (p116)

・人との競争で生き抜くのではなく、人を愛することから生きる ・・・あらゆる人に平等で美しい芸術

・志ある友 : 友であることが誇らしい気持ちになる ・・・良き友の志は自分の中で

・運命の前では、いかなる人も無力。だからいつも謙虚でいる ・・・いつ奪われるかわからない

・時宜に適って、人は人に巡り合い、金の言葉に出会う

・争いごとを避けて、風流に生きた(父) ・・・大地主の長男で大切に育てられたことが関係か?

・未来永劫、ありがたい母という存在 ~行きたい道を行きなさい、と言ってくれた

・人生は山あり谷あり、ようやく平地を得たとき、感謝して大事にする
どんな斜面にも、つかのま安心できる場所がある ・・・自分が立ちうる場所に感謝する
☞ 「わ(我)が立つ杣」 最澄(新古今和歌集) (p164)

・「自分の心が一番尊い」と信じて、自分一人の生き方をする ・・・唯我独尊に生きる

人が生まれて死ぬことは、いくら人が考えてもわかることではない。自分に何か考えがあったわけでも、自分の好みで、この世に出てきたわけではない。自然のはからいによるもので、人知の外、人の領域ではないと思う。人の領域ではないことに、思いをめぐらせても真理には近づけない。 (p10)  ・・・死生観
それなら一切を考えずに、「毎日を自然体で生きる」ように心がけるだけ!

老いるということは、天へと続く“悟りの階段”を上っていることなのかもしれません (p28)