工夫は詩の外にあり

コピーをいただき紹介された漢詩の一句が、私の頭から離れないものとなった。それは、陸游が晩年の詩観を末子に示したという詩「示子遹」にある最後の句「工夫在詩外(工夫は詩の外に在り)」というものだ。
一海知義註によると、詩はそもそも六芸の一つとされたもので、それを遊びの道具にするものではなく、お前が詩を勉強しようと思うなら、「努力を詩以外のところにそそぐべきだ」というものだ。
【註釈】〇詩外 - 詩以外のもの、すなわち生活一般、正しい行動、正しい思想など。〇工夫 - ものを行なうのに要する力、あるいはその時間。
私は妙に腑に落ちてしまい、目の前が開けたように感じた。反芻してみると、詩はただ飾っただけの美しさを出そうとしても駄目で、それ以前に人間本来の姿として、生活一般はもちろん、正しい思想や行動が身についていなければならない。それでなければ、優れた詩は創作できないと言われているのだろう。
漢詩とは、奥が深いと言おうか、人生そのものではないだろうか。六十歳を過ぎてから、人に誘われてボケ防止のためにと始めた漢詩だが、ちょっと考えが甘かったようだ。「詩外」とは、勉強すべきことが無限にあると言われているのであり、ゆっくりと死ぬこともできなくなってしまうのではないかと心配になっている。

16.10.26h