百匹目の猿現象
百匹目の猿現象 (N,Fu) E1201a
宮崎県串間市東部の石破海岸から200m沖合に、幸島(こうじま)という周囲約4Kmの島があります。
話は約半世紀前の1950年にさかのぼりますが、京都大学霊長類研究所の研究者たちが、この島の猿(ニホンザル)たちにサツマイモの餌づけを試み始め、1952年に成功しました。当時は20匹ほどの猿しかいませんでした。
はじめの頃、猿たちはサツマイモの泥を手や腕で落として食べていましたが、1953年のある日、1歳半のメス猿が泥を川の水で泥を洗い流してから食べ始めたのです。
この行動は、やがて若い猿たちや母親猿たちが次々とまねし始めて、1957年には20匹中15匹がイモを川の水で洗って食べるようになりました。 (ところが面白いことに12歳以上のオス猿は、イモ洗いが群れに定着して10年たってもイモ洗いをしなかったのです。)
その後、川の水が涸れたこともあり、いつの間にか猿たちは海水でイモを洗って食べるようになりました。
海水の塩分がイモをおいしくしたのか、猿たちのイモ洗いは淡水から海水へ変わっていきました。
そうしてある時、大分県高崎山の猿たちの中にも水でイモを洗う猿たちがいるのが見つかりました。
それは幸島で猿のイモ洗いが定着した後のことなのですが、彼らは幸島の猿たちとは何の関係もない猿たちです。あえて言うならニホンザルという点だけが同じです。
やがて高崎山の猿たちにもイモ洗いの行動は広がっていきました。
新しい知恵を群れ全体が獲得し、「洗って食べる」ことが新しい行動形態として定着していったわけです。
この猿のイモ洗い現象が遠く離れた幸島から高崎山へ伝搬した現象を、アメリカのニューエイジ科学者の第一人者ライアル・ワトソンがベストセラーになった彼の著書「生命潮流」の中で『百匹目の猿現象』と名づけて発表し、汎用理論化しました。
〇“イモ洗い”が同時多発する不思議
猿は言語をもたず伝達能力も乏しいと思われますので、イモ洗いは一匹が先行して行った行為を他の猿たちが模倣することで、群れ全体に習慣として固定化されていったと考えられます。
その限りでは幸島の猿たちの行為は高度で文化的とはいえ、しょせんは模倣の域を出ていません。
ここで話が終わったのではありません。
イモ洗いをする猿の数があるところまで増えた時、幸島以外の地域の猿たちの間にも、同じ行為が同時多発的に見られるようになりました。
不思議なことに、遠く離れた他の土地や島、高崎山をはじめあちこちに生息する猿たちもまた、同様にイモを洗って食べる行動を次々にとり始めたのです。(もちろん海で隔てられた、幸島の猿とは全く接触がなく、模倣のしようもない別の群れの猿たちの間でのことです。)
一匹の個体から発した知恵(情報か)が集団に広がり、その数が一定量まで増えた時、それを知るよしもない遠く離れた仲間にまで、まるで合図でもあったかのように情報(知恵)が“飛び火”していったのです。
これはいったいどういうことでしょう。
世代から世代への時間の経過をへた、いわば縦の継承なら遺伝ということで説明ができますが、同時代において距離を超えて一つの情報が横に伝搬し、共有されていったのです。
この生物にみられる不思議な現象を、ライアル・ワトソンが「百匹目の猿現象」と名づけたのですが、百匹という数字はそのきっかけとなる一定量を便宜的に数値化したものです。
(まとめと補足)
「百匹目の猿現象」は、学問の世界でも1994年にはっきりと認められたことですが、多くの動物学者や心理学者が色々な実験をした結果、猿だけではなく人間を含む哺乳類や鳥類、昆虫にも認められる現象であることがわかってきました。
そもそも、この猿の行為をフィールドワークによって発見したのは京都大学の霊長類研究所でした。曽於経緯や内容は同研究所をひきいてきた故今西錦司さんの著書「人類の誕生・世界の歴史1」に書かれています。
しかし、それを学問的に注目し“百匹目の猿現象”と名づけて汎用理論化したのはライアル・ワトソンでした。彼は、西洋近代思想の土台ともいえるデカルト以来の心身二元論や機械的世界観に異を唱え、心と体を統一してとらえる東洋思想的なニューサイエンスの考え方を提唱した気鋭の科学者です。
ワトソンは「生命潮流」の中で百匹目の猿現象を紹介し、人間の文化や流行の原理をそれによって説明しようとしました・・・。
〇「シェルドレイクの仮説」 ~なぜ共通行動が広がっていくのか
百匹目の猿現象はどうして起こるのか。それは人や動物の心は見えない部分でつながっているからだと、説明できそうですが、これをもっと科学的に説明した人がいます。
イギリスの科学者ルパート・シェルドレイクは1981年に現代科学理論をくつがえすような新しい理論を発表して、生物・物理学界で大きな話題となった人です。
その理論(仮説)の中心は「形の場による形の共鳴」と呼ばれるもので、現代科学の枠組みから考えれば「荒唐無稽な珍理論だ」と酷評される一方で、現代科学の限界を超える大きな可能性を秘めた新理論であると絶賛されました。
この仮説は、1982年から94年まで、欧米の生物学者、心理学者、物理学者などをまきこんで大論争を引き起こしました。多くの実験が行われ、その結果「どうやらこの仮説は正しいようだ」と、今でははっきり認められるようになりました。
この仮説を要約しますと、「生物の形や行動パターン、さらにこの世界の物理的システムは、“形の場”の成立とその“共鳴”によって、過去そうであった形態に導かれ、それを継承している」ということです。
そしてシェルドレイクは、この場の形成とその共鳴は、生物の形態や行動だけではなく、原子や分子レベル、意識や知覚レベル、あるいは社会の構成原理などにも働くものだとしています。
イモ洗いは猿の行動パターンについての共鳴でしたが、人間の心や社会の意識形成などにも、過去や他の場所からの時空を超えた共鳴作用がはたらくというのです。
したがって、これまで超常現象といった言葉でかたづけられてきた不思議な現象~お互いに何の因果関係もない二つの事柄が同時に並行して起こる“シンクロニシティ(共時性)“や、”集合的無意識“(多くの人に共通する過去からつながる集団的な潜在意識のようなもの)~も、この仮説で説明できることになります。