易経を学ぶ

易経を学ぶ    I0107

「超訳・易経」  竹村亜希子(自分らしく生きるためのヒント) から  E1205c

易経は「占いの書」として発祥したもので、占った結果として、今どんな状況にあるのか、将来どんなことが起こるのか、それに対してどのように対処すればいいのか、その方法がこと細かに書いてあります。ところが一方で、「君子占わず」つまり、「占わなくても吉凶がわかる」と、占いを否定することも書いてあります。これは、易経をきちんと読んで理解したならば、先々の変化を察することができるようになり、未来がどうなるのか、そのためには、今何をすれば良いのか、といった出処進退がわかるようになるということを意味しています。
実際、易経には、私たちの人生で起こりうるあらゆることが書かれており、読み解いていくと、さまざまな事に対処できるようになっているのです。古来、易経は単なる占いの書ではなく儒教の経典「四書五経」の筆頭にも挙げられる経書です。
易経の魅力は、およそ人間の考えることが全て書いてあり、人生の岐路に立たされたとき、難しい問題に突き当たったとき、いつも易経が解決の糸口を示してくれることではないか。また、易経を読むことで、自分の置かれている状況を客観的に見られるようになることではないだろうか。

・易経とは
易経は「陰」と「陽」で「中する」ということを伝えるために書かれた書物で、人生のさまざまな状況を一つの「時」=卦(か)として、六十四の物語に書いてあります。
それぞれの卦にはさらに六つの小話があり、全部読むと起承転結の物語のようになっています。どの卦に書いてあることも、自分に関係ない話は一つもなく、誰もが経験したことのある、あるいはこれから経験するであろうことばかりです。
どこの卦から読んでも必ず、自分の周りに起こっている問題や状況に合致する話が書かれており、「何をすればうまくいく、いかない」という具体的な対処法(「中する」こと)が書かれています。

・人生の「時」を物語る六十四卦
「時」とは時代や時間の変化、タイミングです(易経が教える「時」には、時・処・位が含まれてます)。「処」は場所、環境、状況、心の状態、対処のことです。「位」は立場、地位、人間関係です。
六十四の卦象から読み取った物語を言葉にして説明しているのが「卦辞」と「爻辞」です。

・易経の成り立ち
「易」という字は、十二時虫と呼ばれる蜥蜴(とかげ)を意味しています。これは光の変化によって日に十二回、体の色を変えるといわれることから「易わる」、つまり「変化」を意味するようになりました。
「四書五経」に数えられる立派な経書で、「変化の理」について書いてある書物です。
古代中国では、国を治め、国政を占う「帝王学の書」としても扱われてきましたが、どんな立場の人が読んでも的確なアドバイスが得られる、「処世の智慧の書」なのです。

・易経は変化の書
易経は、「すべては同じ法則性をもって変化していく」と教えています。
易の三義とは、
・変易 ・・・「変化(変わる)」という意味で、この世のすべてのものごとは常に変化し続けている
・不易 ・・・「不変」という意味で、変化には必ず一定不変の「変わらない」法則性がある
・易簡(簡易ともいう) ・・・変化と不変の法則性を理解できたならば「易しい、簡単」という意味

・陰陽がものごとの変化を起こす
陰と陽は表裏一体のもので、陰陽は入れ替わり変化し、陰陽がものごとの変化を起こします。
易経では、人やものごとが変化して発展していくのは、陰陽の交わりによるものだと教えています。
陰と陽は対立し、反発しながらも補い合い、助け合って、交ざり合い、そして陰陽が相交わって新たなものが生み出されます。(陰と陽が「中する」ということ)
また、陰陽の二元が生ずる前の万物の根源(混沌とした状態)が太極。
・・・(N注) 論理学でいう弁証法的発展(正・反・合~止揚)と同じこと

・陰陽の変化に対処する
「天地人三才(働き・才能)」とは、天の時(時、時代、タイミング)・地の利(環境・場)・人の和(人の働き)が揃わなければ物事は成就しないということです。
(注) もともとは易経の用語だが、孟子のことばが有名になっている
易経は、天道(天の働き)、地道(地の働き)、人道(人の働き)の三つの陰陽がぴったり合ったときに変化が起こり、新たなものを生み出すとしています。
人間が自然の変化に順応するならば、その変化に正しく「手を入れる=中する」ことができます。それが人間に与えられた才能と働きです。

・人生の節目に易経の教えを生かす
私たちは普段、自分の置かれている状況を俯瞰して俯瞰して判断できるほど、広い視野では物事を見ていません。けれども、悩み苦しみながら事実を事実として受け入れることができるようになると、突然解決方法が見えてきます。
状況が変わっても人間は同じように問題に突き当たり、そしてものごとの成否はおおよそ人間の行動によって成り行きが決まっていると説いています。反対に、易経には「典要となすべからず、ただ変の適(ゆ)くところのままなり」と書かれています。決めつけたり、頭を固くしてはいけないということです。

・天災の時を教える「天雷无妄(てんらいむぼう)」
まさしく「无妄」、つまり無欲、無作為でなければ災いがあると易経は教えています。
この卦は期待はことごとく裏切られ、希望も予定も実現せず、望むことが何もかなわない時です。
この状況では、作為なく、ありのままの自然体で生きることが大切だと言っています。
最も易経的(易経の教えを一番表している)な卦で、この卦だけには「どうすれば問題が解決するか」という具体的な対処法が書かれていません。ただ「自然であれ」ということが書いてあるだけです。時、状況の変化に応じて、自然に合わせてありのまま生きることの大切さを教えています。
また、作為なく、自然に身をゆだねて生きていけば、おのずと物事は進んでいく。答えは自分で探究することが易経の理解のはじまりで、ヒントが見つかるということだろう。

※ 故郷の新潟で大地震にあったときの良寛さんの言葉に、「災難にあう時節には災難にあうがよく候、死ぬる時節には死ぬがよく候。是はこれ災難をのがるる妙法にて候。」とあります。

・「兆し」を観る
易経は兆しを感じることが重要だと教えています。
「きざし」は目に見えないけれど感じることができる、察することができるもののことで、「兆し」です。
教えられるものではなく、まだ現象として目には見えないけれど、物事の行方を暗示するものです。

楢崎皐月(物理学者、カタカムナ文明研究)は、「潜象は現象に前駆する」と言っています。
・・・(N注) アルビン・トフラー?も同じことを

・「易は窮まれば変ず。変ずれば通ず。通ずれば久し」
これは、この世のあらゆるものは「窮極」に達すると変化する、という意味です。(窮極とは、とことんまでいってピークに達するということ)
易経は、ものごとが窮まった時に、兆しが生じていると教えています。
陰が極まれば陽になり、陽が極まれば陰に転じるということで、満ちたものは必ず欠けて、欠けたものは必ず満ちるという、一定不変の法則で変化するということです。このように陰陽は「消長」しながら変化していきます。
・・・(N注)カタストロフィー理論も同じことを

・「時流」に乗らない「時中」の考え
「時中」とは、「時に中(あた)る」という意味で、その時にぴったりということです。
易経が兆しについて教えているのは、時を読み、兆しを察して、その時にぴったり合った行動とれば、多くの人生の問題は解決し、願いはかなうものだということです。
易経には「時流というものは確かにあるが、時流に乗るものは時流によって必ず滅びる」と書かれています。時流には“たまたま乗る”ということがあっても、時中には「たまたま中る」ということはない。中るべくして中るのが「時中」だと教えています。
また、易経は栄えて安定している時ほど、危機感を持ちなさいと教えています。

陽を象徴する「乾為天(かんいてん)」 ・・・栄枯盛衰を物語る龍の成長の話
この卦の爻は、龍が成長するにしたがって変化していく様子をあらわしています。
① 潜龍 ・・・ 志を抱く
② 見龍 ・・・ 師に見習って基礎を学ぶ
③ 終日乾乾 ・・・ 毎日、基礎を繰り返し実践して技と応用を身につける
④ 躍龍 ・・・ 独自の技をもって、いままさに天に昇ろうと跳躍する
⑤ 飛龍 ・・・ 雲を呼び、雨を降らせて人々を養う。志を達成する
⑥ 亢龍 ・・・  驕りたかぶって昇りすぎた龍。やがてくだり龍になる
・・・(N注) ものごとを学ぶ「守(修)、破、離」は、この②~④と同じことを

【参照】
・竹村亜希子「超訳・易経」 自分らしく生きるためのヒント
・安岡正篤「易経講座(運命を開く知恵)」、「易と人生哲学」

 

※易経についての補足
安岡正篤「易と人生哲学」より

”易”とは、 これは東洋において最も古い思想学問であると同時に、常に新しい思想学問でもある。
要するに易とは、宇宙~人間の実体、本質、創造、変化というものを探求したもので、二十世紀の今日にもその価値が再認識された。

□易の三義
・変わる ・・・変化してやまないということで、その根本に変わらないものがあって初めて変わるのです
その変わる、変転してやまないというそのものを「化」という。自然と人生は大いなる化です。
・不変 ・・・原理に基づいて変わる~変化を自覚し意識することです
人間の知恵が発達するにつれて、変化のうちに、不変の真理、法則を探求し、それに基づいて変化を意識的、積極的に参じていく。つまり超人間的、従って無意識変化にとどめないで、変化を考察し、変化の原則に従って自ら変化していく、という意味が出てきます。
・化成 ・・・創造的進化の原理に基づいて変化してやまない中に、変化の原理、原則を探求し、それに基づいて、人間が意識的、自主的、積極的に変化していくこと。人間が創造主となって創造していくことです。

□陰陽相対(待)の理法 ・・・陰陽五行の思想
天地、人間の創造変化~造化に本質的な相対、相待つ~相対立するとともに相関する、形のうえでは相対して同時に相待つ。これを相対(侍)といって、相対(侍)性理論というものがあります。その根源は陰です。

□”中”とは、 ~総合、統一、進歩
人間を含む造化の世界というものは進歩向上してやまない。現実は万物の相対(侍)する世界であると同時に、総合統一されて限りなく変化していく、あるいは進歩向上と観察することもできる限りない造化が進行していく、それが「中」です。
「中する」ということは、現実の矛盾を統一してさらに新しくクリエートしていく働きをいいます。
中というのは、相対立するもののまん中をとるというような単純な意味ではなく、もっと動的な、ダイナミックな意味を持っています。「折中」の二字は矛盾、対立、闘争する双方を処理して、総合統一して限りなく進歩向上させるこれが本当の折中の意味です。
論理学でいう “正・反・合”。正があって反があり、それを合わせて進めるので合といいます。
いわゆる弁証法的発展と、テーゼ、アンチテーゼ、ジンテーゼという、そこへ進んでいくのが中でありますので、易学は中の学問です。

□易に通ずるものは占わず
多くの人々は、易というものは、人間の運命に関する学問であり、その運命とは、宿命であると誤解しています。宿~とどまるという意味ですから進歩がありません。運~めぐるですから動いてやまないものをいいます。つまり宿命と運命を取り違えています。本当の運命は文字どおり創造していくことで、命を立てる、命を拓くことを立命といいます。いかに自ら運命を立てていくかということが本当の運命の学、すなわち易学です。
易学というものは定められたその関係を調べるのではなく、どこまでも自分の存在、自分の生命、生活というものを創造していく学問です。

~ご紹介~
・八観 ・・・人間観察法 「呂氏春秋」
・六験 ・・・人間検査法 「呂氏春秋」
・学問修養の九段階 ・・・野(1年)、従(2年)、通(3年)、物(4年)、来(5年)、鬼入(6年)、天性(7年)、死を知らず・生を知らず(8年)、大妙なり(9年)