人生という山の下り方

人生という山の下り方

             「禅が教える人生という山のくだり方」 枡野俊明

・人生は元には戻れない ⇒「不退転の決意」をもって、過去に執着せず、今を大切に生きるよう心がける。

・のぼ(上)る時とくだ(下)る時の一歩には、何の変りもない。
全く同じ大切な一歩であると知ることである。

・人生における大切なことは、移ろいでいくもの。
それに身を委ねることもまた、人生の下山である。

・若いころは、体も頭も切れ味がいい。テキパキと物事をこなし、スピード感あふれる判断力がある。ところがある年齢を過ぎれば、その切れ味は衰えてくる。

しかしそれは単なる衰えではない。様々な経験を積むことによって、物事の判断材料が各段に増えてくる。その結果、結論を急がなくなるのだ。これが、すなわち円熟味というものである。

・「不退転」という言葉は、実は禅の言葉で、「修行によって一度悟れば、決して二度と迷いの世界に戻ってはいけない。その悟りを失ってはいけない」という教えなのである。

人生は元に戻れないという真理を見つめ、その覚悟をもって生きること。過去に執着せず、ただ今という時間を大切に生きる。今というこの一瞬こそ不退転の決意で生きること。それこそが人間に与えられた使命だと禅は教えているのである。

物事を二者択一で考えない。これが禅の基本的な考え方であり、あえて曖昧にするという智慧なのである。

こういう曖昧さを持つことが、下りの人生には必要である。

・最も大切なのは、夢中になれるものを持つことだと思う。「遊戯三昧」(我を忘れて、そのものになりきる)という禅の言葉がある。

ここでいう「遊戯(ゆげ)」とは、単純な遊びのことではない。それは目的や評価が存在しない世界を意味する。結果を気にせず、損得勘定などが一切ない。ただそのことに夢中になっている。そういう世界を持つことの大切さを説いているのである。

孤独は人を強くし、孤立は人を弱くする。

「主人公」という禅の言葉がある。私たちは誰もが自分自身の中に「仏」を持つ。仏とは言いかえれば「本来の自己」。この本来の自己を見つけ、それと向き合うことで自分だけの人生を生きることができる。

・「方丈記」を記した鴨長明は晩年「方丈庵」に籠って独りで暮らした。孤独な時間と向きあいながらも、時に京の街中を訪れ、市井の人たちと酒を酌み交わすなど、孤立しない生き方をした。

・孤独な時間を恐れず、そこにある本来の自己と向き合ってほしい。その孤独があなたの心を強くしてくれる。