陸游について(川口さんメモ)

陸游について(川口さんメモ)                                           K0314xa

      「宋詩選注3」P98~103 のコピーへの赤線&メモ注をいただいた。 20.02.28

陸游の芸術についても、ここで過去の批評にいくらか補足しておかなければならないことがある。陸游を非常に高く評価した劉克荘(りゅうこくそう)は、陸游が博学多識で、古典を運用し、それを織り成して精緻な対句を作ることに巧みであった、といい、「古人のすぐれた対句は、放翁によってすべて使いつくされてしまった」とまでいっている。後世の多くの批評家たちの意見も、期せずして一致している。もちろんこの意見は正しい。しかしこの意見は、陸游の質実素朴で超俗的な作品の存在を無視している。

そして、より重要なことに、この問題に関する陸游自身の見解を、黙殺している。[彼の作品を読めば]陸游がつね日頃、書物の中から字句を抜き書きするような作詩の方法を不適切なものと感じていたことに、我々は気がつく。もっとも、彼自身はこの悪習を払拭することができなかってけれども。陸游は、次のようにいっている。

組繍紛紛衒女工          組繍[刺繍] 紛紛(ふんふん)たるは 衒女[器量自慢の女]の工
詩家於此欲途窮          詩家[詩人] 此に於いて 途(みち)窮まらんと欲す

__きらびやかに装飾するのは、容色を誇る女性の仕事。詩人がこれをやると万事休す、行き止まりの袋小路のようなものだ。

また、次のようにもいっている。
我初学詩日
但欲工藻絵
中年始少悟
漸若窺弘大
汝果欲学詩
工夫在詩外

__私が詩を習い始めた頃は、ただただ上手に言葉を装飾することばかり考えていた。中年に至って作詩の本質が分かり始め、だんだんとこの偉大なる世界を覗き見るようになった。…お前がもし詩を学びたいと思うなら、努力すべきは詩のテクニックを磨くことではなく、作詩の外側にあることを、よく肝に銘じなさい。

また、「杜甫の詩には一字として来歴、典故のないないものはない」という議論についても、次のように述べている。

今の人は杜甫の詩を解釈するときに、ただひたすら言葉の出典を捜し求めようとする。…ならば、[杜甫の詩は、まるで人々が軽視する]「西崑酬唱集」中の詩と同じことになろう。「西崑酬唱集」の中にはまぎれもなく一字として来歴、典故のないものがないのであるから。…しかも、今の人は詩を作る時、やはり出典のない言葉は決して使おうとしない。…しかし、そうしたからといって、悪い詩にならないという保証は、どこにもないのである。

 要するに、字句に「出典」があるということは、詩歌に活路を与えるということと決して同じではない、といっている。したがって、劉克荘が称賛したのは、まさしく陸游自身が詩人にとっての「行き止まりの袋小路」と考えていたもの__「刺繍」「装飾」「出典」__にほかならなかった。

 それでは、いったい何が詩人の活路であり、「詩外」の「工夫」なのだろうか。陸游は何通りかの回答をしている。その中で最も注目に値するのでありながら、これまでずっと無視されてきたのが、以下の主張である。陸游は次のようにいう。

法不孤生自古同           法 孤(ひと)り生せざること 古(いにし)えより同じ 
痴人乃欲鏤虚空           痴人 乃(すなわ)ち 虚空に鏤(きざ)まんと欲す
君詩妙処吾能識           君の詩の妙なる処 吾 能く識(し)る
正在山程水駅中           正に山程(さんてい)水駅(すいえき)の中に在(あ)り               
【語訳】{山程}山の中の旅路。{水駅}水べの船着場。

 また、次のようにもいっている。
おしなべて作詩の腕前は、旅の最中にますます磨きがかかります。…どうか舟の上でも馬の上でも、たゆまず努力なさってください。そうすれば他日、群を抜くような傑作が、必ずやそのような時に数多く生まれることでしょう。

いい換えると、すぐれた詩を作りたければ、外の世界と接触しなければならない、ということである。そのために書物の文字行間から抜け出し、「本の虫」になるという落とし穴から飛び出さなければならないのは、むろんのことであろう。「虚空に粧画(しょうが)す」とか、「虚空を捫(な)で摸(さす)る」というのは、元来は仏典の中の比喩であり、「法は孤(ひと)り生ぜず、境に()りて生ず」とか「心は孤り起きず、境に仗()りて方に生ず」というのもまた、禅宗のスローガンである。陸游はこれらの言葉を借りてこう言っているのだ。__すなわち、詩人は決して家の中に閉じこもって空想にふけってばかりではいけない。ただ外地を旅した経験や人生のさまざまな経験の中から、あるいは、日々の生活体験の中で、現実_「」_と向き合った時のみ、はじめて新鮮な詩想_「」_を獲得できるのだ、と。たとえば、独自の境地を切り拓き、英雄の気概を備えた陸游の愛国詩も、彼が西北の地に赴き、軍事行動に参画した後に書き始められたものであり、その最初の一首が、本書に選んだ「山南行」である。陸游が晩唐詩人を手本として熱心に学びながら、同時に彼らを痛罵したこと、また「刺繍」「装飾」を重視していながら、素朴で平淡な作風の梅堯臣(ばいぎょうしん)を最も高く評価したこと、_これらはいずれも陸游が自分の作品に対してより厳しい要求を課し、より高い理想を掲げたことを物語るものである。

 ~陸游は、唐代の詩人の中では、白居易からも多大な啓発を受けている、もちろん、さらに杜甫がいる。また、一般には宋人が尊敬はしても親しもうとはしなかった李白も、しばしば陸游の七言古詩の模範となった。