ドラッカーの「第二の人生」

ドラッカーは、「断絶の時代(1969年日本語版初版)」 の第13章 仕事の変化「第二の人生」で、次のように述べています。

「中年に達した知識労働者が、第二の人生を始められるようにする必要がある」
第一の人生で、行きつくところまで行ったことを知った人たちは、趣味や教養では生き返れない。プロの味を知っているからには、アマの時間つぶしでは飽き足らず、趣味に時間を使ってもよいとはいえ、生活の中心に持ってくることは出来ない。
必要としていることは、貢献であり、20年以上もやってきたことに飽き、知り尽くした仕事に関心を失った者が、何か新しいことで貢献したがっている。

年齢をもって退職させられることは、残酷であるだけでなく、人的資源の浪費だ
年齢をもって退職させることが必要なのであれば、第2の人生を送る仕組みを作らなければならない。

人は年によって老いるのではない
エネルギッシュに働くことはできなくても、判断力に狂いがなく20年前よりも優れた意思決定を行なう人がいる。助言者としても欲を離れ、かつ知恵と親身さを併せ持つならば、最高の仕事をする。

・一人ひとりの人間も、定年という締切日とは関係なく、再び生産的に働けるようにならなければならず、第2の仕事の卸売市場を作る必要がある。特に若い人たちが後ろにつかえていない仕事に彼らがつけるようになったとき、初めて我々は、労働寿命の延長という現代の偉業を活かすことができたといえる。

・仕事に挑戦を感じなくなった者は成長が止まったと思う。確かに現在の仕事では成長が止まったかもしれない。だが、有能であり、病気でないならば仕事さえ変えれば再び成長する。

・第二の人生は仕事への不満や倦怠から逃れるための酒や、火遊びや、精神分析医よりも面白いはずである。
人は仕事さえ変えれば再び成長するし、第二の人生は面白いはずだ。

・・・ 「ジェネレーションフリーの社会」で言っていることは、これがもとになっているのだろうか?